肩之幅ひろしの社会適「応」ブログ

力を抜いて自分用に生活上の工夫を綴っています。

睡眠時間よりも大切なものがあった。

 今日は睡眠時間が何よりも優先されるべきとか書こうと思っていたが、もっと大切な事があった。

 

 それは「煙を避ける事」である。40人入る部屋の角で二人が吸っていただけで咳が出た。

 呼吸が浅くなり歩くのも息苦しい。改札に定期を入れたら違う区間のものだったので入れ直した。何とか電車に乗って一休みした後、改札を出ようとしたら2回定期を入れ間違えた。見てみたら3枚ある定期がさっきのミスの際に入れ替わっていたし、今回定期を取った位置も間違えていた。

次の乗り換えの時は間違えなかったが、判断に迷い動作も遅かった。

 

煙によるデバフは自分の把握しているよりもずっと大きい。思考鈍化があまりにも酷い、という事が日常的な動作から証明された。

一時間ほど経って少し落ち着いたが、今夜は薬が必要だろう。

 

 そもそも居酒屋に行ったのが間違いだった。のんびり過ごせないし、料理は途切れ途切れで遅いし、小食でアルコールも飲まないから全く高い買い物である。

 そんな訳で自分には適当に美味しいお店で食べた後にいつもの様にファミレスかトランプ場でグダグダ過ごすのが幸せなのだと深く確信した。

 

 

 あ、そういや今回の事でいい一面が1つだけあった。最近めっきり聞かなくなったメタルが凄くカッコ良く聞こえたし、落ち着いた。精神と身体のバランスを崩した時はやはりメタル。

またAmazonでプレイリストを作っておこう。

最初ほど適当にやっていい。

 このブログを始めるにあたって、独自ドメインは用意しなかった。デザインもいじっていないし、はてなブログもproにはしていないし、文章も誰にも読みやすい気の利いたものでは無いし、SEOも全く意識していない。

というのも、これらの作業は非常に面倒なものであって、最初にしたこの面倒が後々ハードルになってしまうからだ。最初にこれだけ力を入れたのだから、中身もそれ相応にしなければ、といった強迫観念が無意識に働くからだ。

これは新しいノートを使い始めた時、最初の数ページはやたらと綺麗に書く事に似ている。(そして、何ページか後からは前のノートの様にまたごちゃごちゃと汚いノートになってしまう)

 もちろん、ノートを最初から最後まで綺麗に使える様な人は綺麗に使えば良い。肝心なのは、その人に合ったやり方を選ぶ事だ。

少なくとも自分はそうでは無いので、適当にやる。昔考えすぎと言われ、つい先月にも気負いすぎと指摘されたので、適当にやってようやく丁度いいのだろう。

 

  さて、最初に適当にやってしまう事にはいくつものメリットがある。

ひとつは冒頭に書いた通り、気楽に変な力が入らずに済む事。このブログも「見せに行く姿勢」を殆ど取っていないので、純粋に自分の為だけに気楽に文章を書けている。

だから継続しやすいし、書きたい事にだけ力を注げる。

 

ふたつめは、後から必要に応じてどうとでも変えられる事。これは最小単位から始める事によって拡張性を確保できるとも言い換えられる。

例えばブログなら、後から良いドメインや欲しくなった要素が出来た時に、それを導入するのに無駄な悩みを産まずに済む。

既にテーマやドメインになけなしの数千、数万円を払っていたのならそれを無駄にした上に次もそれで上手くいくかどうかわからない、なんてストレスが生まれ、下手をするとこのまま引き下がれるかと正常な判断を失いまた無駄金を使ってしまったりする。(半分くらい実体験)

 

 これももちろんブログに限った事ではない。あらゆる趣味や出来事に通じる事柄だ。最近よく覚悟を決めて自ら退路を断つと言う様な光景を見かけるが、この風潮は非常に良くないと思う。一部の本物は本気でそうやるが、大多数の人は本物に憧れてそれを真似ているだけだからである。そこに真の覚悟が伴われていない。

 

この項目で肝心なのは、流れに身を任せて必要な時にだけ必要なだけの改善を行うという事。

あのAmazonの社長ですら、初めはこんなオフィスと手書きの標語から始めたらしい。

https://twitter.com/espitiatyler/status/944079656151670785?s=21

 

.....ああそうか。所謂PDCAサイクルというのはこの為にあるのか。問題を十分に洗い出し、その問題に無駄なく対処する。予算とパワーを効率よく使う為の知恵だ。

 

 

みっつめは、早く始められる事。

気軽さは思いの外大事だ。もっと早く始めておけば良かった、と思う機会は人生においてそれなりにあるが、早く始めなかったのには理由があった筈だ。自らそれを取り除く事で、能動的にもっと早く始める事が出来るようになる。

そして早く始めると、相対的に後から始めた人よりも多くの時間を使える様になる。100m走で誰よりも1秒早くスタートする事が出来れば、これがどれだけの優位を生むか。

能力や努力量に差はあれど、少なくとも同じレベルで物事を進めている相手には差がつく事になる。

有料ソフトによくある試用期間はその為にある。さあすぐ始めよう。

 

 ところで今自分には他にやりたい事があるが、まだやれていない。しかしブログはその準備運動くらいにはなると思うので、これもある意味気軽に始めた結果ではなかろうか。

 

 

 

「一分一秒でも早く始め、続ける事。」

 

肩之幅ひろし

 

社会適「応」者。

 社会不適合者。としばしば表現されるタイプの人種。自分はそんな人間だ。

 物事をよく忘れる。人の顔と名前を覚えられない。座ってられない。タスクを先延ばしにしがち。...........まあ、そういう事だ。診断はまだ受けていないが、まあ多分そういう結果になるだろうと確信している。ちなみに肩幅は195cmある。

 

 自分がこのブログを書こうと思ったのはなぜか?理由は簡単。社会に適合しない良く言って不思議な人でも、やりようによっては社会に適応する事は可能で、自分自身でそういった工夫と訓練を行う余地がまだまだあると確信したからだ。

 その根拠はかつて対人スキルが皆無だった自分が、今では信じられないことにそれを使って、無能の割にそこそこ稼いでいるという事実があるからだ。この事は数年間も無意識に行ってきた工夫の賜物であり、無意識だったがゆえにこの程度であると捉えている。だからこれからは意識的に改善を行っていこうという訳だ。

 

 ちなみに今の私は2019年に新卒で働き始めた社会人である。労働時間、いや起きている時間の大半は会社員として働く時間だ。副業についてはここでは詳しくは書かないが、毎月3~6万ほどを稼いでいる一方で、安心して生活できるほどしっかり稼げる様な収入源は出来ていない。これは自分自身の能力が足りていないからである。

 

 そして、会社で働くという事は一般的な社会人の仕事ぶりを間近で見る事ができ、自分もまた彼ら共に、彼らと同じように成果を上げる事が求められる。少なくとも、会社中で働く為のスキルは今の私は彼らに全く劣っている。同期の中でも一際だ。しかし、それ故私には彼らの社会人としての、仕事人としてのスキルを身に着け凌駕してやろうという野心もある。

 

 脱サラするかどうかはさておき、だからこれからこのブログでは私と同じような人種の人間が如何にして一般人レベルの社会性を身に着けるか、私自身がいろいろ試してみる過程や結果を綴っていこうと思う。

 

 そんなこんなで。

 

肩之幅ひろし(@superwideshould